こだわり|大阪市北新地の居酒屋「浪速割烹居酒家 おかだ」西梅田駅 徒歩1分

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浪速割烹居酒家おかだ 店主 岡田利勝

初めまして、「浪速割烹居酒家おかだ(なにわかっぽういざかや)」の店主を務める、岡田利勝(おかだとしかつ)と申します。

本日は、当ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。これから、お話しさせて頂く事は、私自身もあまり思い出したくない事なのですが、これも何かのご縁だと思いましたので、あなたに正直にお話しします。

私は、1964年に熊本県熊本市九品寺(くほんじ)で生まれ育ちました。
私の叔父は、九品寺界隈に「時雨(しぐれ)」という鳥料理店と寿司店を8店舗展開していました。そして、私の父親は、そんな叔父の経営する飲食店の統括店長をしていました。

私は、こんな生活環境で育ちましたので、高校卒業後、大阪の寿司店に修業に行かされます。しかし、18歳の私にとって寿司という料理は、あまり興味のないモノでした。なぜなら、私にとっての寿司は、幼い頃から見慣れた食事のようなモノだったからです。

それに、当時の私は、「息子が家業を継がなければならない」と思っていたため、父親に勧められるがまま修業に行きました。しかし、本当に自分がやりたい事でもないのに修業をしても、長続きするはずがなかったのです。案の定、私は、大阪の寿司店の修業に耐え切れず、すぐに辞めてしまいました。

その後、自分の意志で1年ほどサラリーマンになったにも関わらず、それを肌に合わないという理由で辞めてしまう始末です。この頃の私は、何をしても上手くいかない、それに、何のために大阪にいるのか解らなくなり自暴自棄になっていました。


日本料理との出会い
浪速割烹居酒家おかだ 店主 岡田勝利

そんな私が料理に興味を持ったきっかけは、1冊の料理本に掲載されていた、料理写真との出会いだったのでした。それは、思わず息を呑むほど、美しく盛りつけられた日本料理でした。中でも、「浪速割烹 㐂川(きがわ)」の料理は、一際、輝いて見えました。

私は、一瞬にして「㐂川」の料理の虜になってしまったのです。当時、「㐂川」では、今でいう、創作料理を主に提供していました。しかし、この頃、創作料理というジャンルはなく、「変わった料理」としか、言われていませんでした。特に日本料理という料理は、伝統を重んじるあまり、少しでも型を崩すと批判が多かったのです。

しかし、その日本料理の型をいち早く崩し、どんなに「変わった料理」と批判されても、自分のやり方を貫き通したのが「㐂川」の主人の上野修三氏で、創作料理のパイオニアと言っても過言ではありません。

そんな斬新な料理に憧れて私は、上野氏から料理を学びたいと思ったのです。それから、この事がきっかけとなり、私の料理に対する考えが一変し、それと同時に、本当に自分のやりたい事が何なのか見つかったような気がしました。

それから、私は、運よく天才的な技術をもった日本料理「紬つむぎ」の板長 川下寿男氏に出会い、料理の基本となる、魚や野菜のさばき方(切り方や下ろし方)を必死で学びました。さらに、私と同期で入店した若手の修業生が面倒な事や嫌がる仕事も進んで引き受けるようにしました。すると、周りにいた店の主人や先輩方は、そんな私に対して、仕事を教えてくださったのです。

一般的に会社の上司や先輩から仕事を教えてもらう事は、社会人にとって当たり前の事なのかもしれません。しかし、当時の板前の考え方として、調理や味付けといった技術は、盗むのが当たり前でした。

技術を盗むとは、店の主人や先輩の近くにいて、包丁の使い方などを盗み見して学んだり、鍋などの洗い物を頼まれれば、鍋にこびりついたタレなどをこっそり舐めて味を覚えるといった事が板前の世界では当たり前だったのです。

その後も私は、さらに日本料理を学ぶため、いくつか日本料理店を転々としました。そして、遂に「㐂川」で求人募集している事を聞きつけた私は、「㐂川」の門を叩いたのです。

「㐂川」での当初は、今まで修業してきた事の延長線上の仕事をやらせてもらっていました。そして、時が経つにつれ、日本料理とフランス料理などを融合させた創作料理を任せてもらえるようになっていきました。

さらに、上野氏は、私の料理のスキルが上がる毎に「ハモの骨でコンソメスープをとってみろ」などといったような難易度の高い料理を要求するようになっていったのです。この頃の経験が私の料理に対する自信となっています。


独立とバブル景気、そして、バブル崩壊
浪速割烹居酒家おかだ

それから、私は、上野氏の下で5年ほど修業し、独立しました。最初に私が開業したのは、大阪宗右衛門町でカウンター席がわずか9席しかない、「現代料理 粋(げんだいりょうり いき)」という小さな店でした。

独立した私は、料理には自信がありましたが、この地域で受け入れてもらえるのかが不安でした。しかも、開業資金が足りず、看板を付け替える事が出来ないまま、私のお店は開店したのです。

「現代料理 粋」を開店した当初は、「焼き鳥」を求めて、ご来店くださるお客様が沢山いました。なぜなら、看板が「焼き鳥屋」のままだったからです。最初は、「焼き鳥屋ではないんです」と言って、お断りしていました。

しかし、「焼き鳥」を求めてご来店くださる、お客様があまりにも多かったため、途中から「焼き鳥屋」の振りをしてお客様を受け入れ、創作料理を提供していました。すると、その料理が口コミで広がり、そして、バブル景気も手伝い、たちまち繁盛店になっていったのです。

その後、勢いに乗った私は、もう少し広い店を求め、周防町に移転し、「粋」という店名に改名しました。それから、創作料理が話題となり、雑誌などの取材を受け、さらにヒートアップした私は、堂島に「粋おかだ」という、2店舗目をオープンします。

その頃の私は、勢いづき過ぎていたせいか、バブル経済が崩壊し、徐々に下り坂になっていた事を、まだ気づいていませんでした。

「粋おかだ」をオープンしてから、半年が過ぎた頃、雑誌の取材がなくなり、客足が遠退き、売り上げが落ちていったのです。私は、一時的なものだと、安易に考えていました。

しかし、そんな私の考えとは、裏腹に、悪化の一途をたどるばかりでした。私は、「何か対策を打たなくては」と思うのですが、何をしたらいいのかが解らなかったのです。無情にも時間だけが刻々と過ぎていきました。


父親の言葉

そんな時、私は、父親が口癖のように言っていた言葉を思い出したのです。それは、「職人になるな、商売人になれ」という言葉でした。しかし、幼かった私には、この言葉の意味が全く理解できませんでした。

私は、自分で商売をはじめて、このような状況になり、言葉の意味をやっと理解できたような気がしました。職人は、料理を作る事には長けていますが、お客様の心をなかなかわかろうとはしません。高級な食材を使い、豪華絢爛な料理を出すことを見れば明らかです。

どんなに高級な食材であろうと、自分の技を活かすために使います。しかし、当然ながら高級な食材を使えば、お客様に高い料金を支払って頂かなくてはなりません。今まで、私が商売してこられたように、景気の良い時代だったら、そんな料理が求められることもあるかもしれません。

先の見えない不景気な時代にそのような料理ばかり出していても、お客様は受け入れてはくれません。

お客様の心や求めるモノも時代とともに変化します。ですから、「職人ではなく商売人になり」、その時代に合ったものをお客様に提供しなければならなかったのです。そこで私が導き出した答えは、業態変更でした。


ためらいと決断
浪速割烹居酒家おかだ

私は、堂島にある「粋おかだ」は、「浪速割烹居酒家おかだ」という居酒屋業態に変えました。これまで私は、日本料理という高級業態で修業をしてきたので、業態変更にはためらいもありました。

なぜなら、未だに高級業態で働いている修行時代の師匠や後輩に、よく思われないのではないかという恐怖があったからです。しかし、そんな事も言っている余裕すらなくなった私は、覚悟を決め、思い切って業態変更をしました。

すると、気軽にご来店されるお客様が増え、初めてご来店されたお客様は、「この食材は、こんな食べ方があるの」と驚かれる方もいらっしゃいました。また、常連のお客様は、「この料理をこんな価格で良いの」と喜んでくださるようになり、お店に活気が戻ったのです。

さらに、私が不安を感じていた師匠や先輩、後輩は、「居酒屋になっても、岡田の味付けは安定していた、それにお店の方もよく頑張っている」と影で応援していてくれていたのです。その事を来店してくれた後輩から聞かされ、私は、天にも昇る気持ちになった事を今でも鮮明に覚えています。

その後、私は、周防町にある「粋」を閉め、福島に「鶏海山の幸おかだ」を居酒屋として、オープンさせました。


日本料理への想い
日本料理への想い

私は、「父親からの言葉」が理解できた時から感じていた事があります。それは、「日本料理のお店は、一般の方からすると敷居が高い」という事です。その要因として、「価格が明朗、明確でない」それに「西洋料理や中華料理のようにカジュアルさがない」という事だと思っています。

私は、修業時代に日本料理店を勉強して回りましたが教えてくれる事は、技術的な事ばかりでした。そうやって修業を経て、育った人が新規開業する事で、伝統の味が引き継がれていきます。

伝統の味というものは引き継がれるべきものです。それ自体はとても素晴らしいことなのですが、味と同時に経営・営業方法まで伝承されてしまう、ということが問題なのだと思います。

入りづらい店構えの店で修行した板前は、独立開業する際には入りづらい店を作ってしまうということです。

私は、日本料理を世界に誇る日本の文化だと思っています。しかし、そんな高級業態の経営・営業方法が伝承されてしまえば、日本料理が敬遠されてしまうようになってしまうと考えています。

私の修行時代の先輩や後輩は、修業時代の経営・営業方法のまま、高級日本料理店として、ミッシェランで2つ星、3つ星をもらっています。そういったことも素晴らしいことだと思います。

しかしながら、私は、最小限の飾りで日本料理を食べてもらいたいと思っているのです。ですから、限られた富裕層のお客様だけでなく、身近な人たちに伝えていく場として、「浪速割烹居酒家おかだ」と、「鶏海山の幸おかだ」を経営しています。

「おかだ」では、1日の仕事を終えた方が、気軽に立ち寄り、自分のお小遣いでお楽しみ頂ける店作りを目指しています。そして、忘れかけた日本の文化と伝統を残すための努力と手間を惜しまず、今日もあなたへ、手作りの料理をお贈りします。

長文にお付き合い頂きありがとうございました。

浪速割烹居酒家おかだ 岡田利勝


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店舗基本情報
浪速割烹居酒家 おかだ 西梅田駅 徒歩1分
浪速割烹居酒家 おかだ(北新地)

〒530-0003 大阪市北区堂島2丁目2-35

TEL:06-6346-6877 北新地の居酒屋 浪速割烹居おかだ 店主

営業時間:夕方18時~23時
【月曜~土曜】
定休日:日曜日 祭日 正月 お盆

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鶏海山の幸 おかだ
鶏海山の幸 おかだ

〒553-0003 大阪市福島区福島5丁目13-2

TEL:06-6455-3748 鶏海山の幸 おかだ 店主

営業時間:18時~23時迄
定休日:日曜日 祭日 正月 お盆

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